2012年5月4日金曜日

オピニオン●ケインズ


 

●ケインズの課題と新古典派経済学の限界

 ケインズは、1936年に刊行した『一般理論』において「有効需要の原理」を樹立し、経済学史上「ケインズ革命」と呼ばれるほどの変革を成し遂げた。
 1929年、アメリカで大恐慌が起こった。それ以前からイギリスでは、第1次世界大戦後、経済状態が悪く、1920年代なかばに、すでに不況の嵐を受け続けていた。失業率は、1923年から世界恐慌の起こる1929年まで、毎年10%を超えていた。
 ケインズ「一般理論」の原点は、当時重大な問題となっていた失業をいかに説明するか、そしてそれを解決するためには、どのような政策がとられるべきか、という点にあった。ケインズは、失業問題に対し、当時の経済学は無力だと考えた。そして、それまでの経済学の理論を乗り越え、新たに生み出したのが、一般理論である。
 ここで経済学の歴史を簡単に述べておきたい。19世紀半ば以来、経済思想における最大の対立は、資本主義と共産主義の対立である。根本的な違いは、私有財産制の肯定か否定かにある。思想的には、ジョン・ロックとカール・マルクスの対立である。ロックは私有財産制を肯定し、資本主義を哲学的に基礎付けた。マルクスは私有財産制を否定し、資本主義の矛盾を止揚するかのような思想を打ち立てた。資本主義と共産主義は理論的には正反対だが、私の見るところ、実態は自由主義的資本主義と統制主義的資本主義の違いに過ぎない。共産主義を実行したソ連等の諸国の経済体制は、実態は統制主義的資本主義である。そこで、私は、いわゆる資本主義を統制主義的資本主義と区別するため、自由主義的資 本主義と呼ぶ。
 古典派経済学は、ロックの思想を継承したアダム・スミスに始まった。古典派経済学は、スミスが『国富論』(1776)で礎をすえ、デヴィッド・リカードが『経済学及び課税の原理』(1817)で完成し、J・S・ミルが『経済学原理』でさらに発展させたものである。古典派はものの価値はその生産に投入された労働量で決まると考えた。いわゆる「労働価値説」である。マルクスも労働価値説を支持した。だが、商品の価値は、生産に投入された労働量ではなく、市場における需要と供給の関係において決まる。労働価値説では、価値の本質を解明できない。そうした労働価値説の上に、マルクスは理論体系を構築した。そのためマルクス経済学は基本的な欠陥を持っている。(註1)
 これに対し、1870年代に、ものの価値は、それが人々に与える主観的効用、つまり「限界効用」によって決まる、とする学説が現れた。「限界的」というのは「最後の追加一単位あたりの」という意味である。この限界概念を、すべての価格決定の根底にすえた経済理論の登場を「限界革命」と呼ぶ。限界革命は、イギリスのウィリアム・ジェボンズ、オーストリアのカール・メンガー、スイスのレオン・ワルラスがほぼ同じ頃に成し遂げた。これ以後の経済学を新古典派経済学という。今日の新古典派経済学の主流は、ワルラスの一般均衡理論に基づいている。
 ケインズの時代、新古典派経済学の主要なテーマは、多くの資源の配分、無数といってもよい財・サービスの生産・消費、こうした問題が価格と市場を通していかに効率的に解決されるか、そのメカニズムを明らかにすることであった。その理論は、全ての財・サービスの価格と生産量が、需要と供給によって決まるとする「需要・供給―価格理論」、及び貨幣は交換を容易にする手段に過ぎず、貨幣価値は貨幣の数量によって決まるという「貨幣数量説」を要素とする。
 新古典派の「需要・供給―価格理論」で説明できる失業は、産業間の不均衡によって一時的に生じる摩擦的失業と、現行賃金が安いから働かないという自発的失業者のみとなる。新古典派は完全雇用という特殊な場合だけを考え、それより経済活動水準が低い場合を考えない。現行の賃金率で働く意思がありながら職にありつけない失業者、つまり非自発的失業者を想定しない。社会に失業者があふれているのに、新古典派の理論では、その理由をまったく説明できないのである。
 ケインズの『一般理論』は、この失業の問題に取り組み、「有効需要の原理」と呼ばれる新理論を提示した。「有効需要」とは、実際の貨幣の支出に裏付けられた需要のことである。「有効需要の原理」は、社会全体の有効需要の大きさが産出量や雇用量を決定するという理論である。そして、ケインズは、有効需要の不足によって、現行の賃金率で働く意思がありながら職にありつけない「非自発的失業者」が生じることを解明した。
 ケインズは、新古典派経済学は「セイの法則」を暗黙のうちに前提にしていると指摘した。「セイの法則」とは、ジャン=バティスト・セイが定式化したもので、「供給はそれみずからの需要を創り出す」という法則である。資本主義が発達の低い段階にあったときは、経済は希少性に特徴があった。生産力が低く、供給が不足していた。ものを作ればみな消費された。それが「セイの法則」の社会である。しかし、資本主義が発達すると、供給能力が大きくなり、それに応じた需要が伴わないと、需要不足が原因で不況や失業を生じる。これが20世紀、ケインズの時代である。「セイの法則」が成り立っているのならば、そもそも需要不足など起こりえない。ケインズは「セイの法則」を前提とすることを否定 した。
 ケインズは、新古典派の理論では解明できない経済の現実に取り組み、これを説明するために、一般理論を生み出した。一般理論は、雇用の問題を中心に利子・貨幣を含めた総合的な理論である。そして、ケインズは「有効需要の原理」に基づいて、政府による「総需要管理政策」の理念を打ち出し、それまでの経済理論に大きな変革をもたらし、経済政策にも大きな変化を与えた。「ケインズ革命」といわれる所以である。

註1
・マルクスの理論的欠陥については、拙稿「マルクス『資本論』の基本的欠陥」をご参照下さい。

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●ケインズの画期的な経済理論

 


1929クラッシュ大恐慌


 ケインズの『一般理論』は難解である。全体像をつかむのは、容易でない。また解釈が様々ある。一般理論を理解するための要点として、私は有効需要の原理、乗数理論、流動性選好、貨幣の役割の4つを挙げたい。これら4点を中心に、ケインズ理論を概説する。
 第一に、最も基本的なものが、「有効需要の原理」である。「有効需要の原理」とは、一国の経済規模は、社会全体の有効需要の大きさによって決まるというものである。経済規模とは、生産量や国民所得のことである。多数の失業者が発生するのは、経済規模が縮小しているからであり、その原因は有効需要の不足にある、とケインズは把握した。
 このことを理解するには、前置きがいる。ケインズはその前置きを書いていない。前提となる認識を私なりに書いてみよう。人間は労働によって価値を生み出す。労働によって新たに作りだされた価値は、具体的には商品として市場で販売される。ちなみに人間が生産したものの本来の価値は使用価値、市場で貨幣を仲介として他の商品と交換される際の価値は、交換価値である。商品が売れると、その価格に応じて売り手は、報酬を得る。それが所得である。市場で販売される商品には、財とサービスがあり、労働力も特殊な商品である。一国全体で見ると、こうして新たに作りだされた価値は、それが商品として市場で貨幣を仲介して交換される限り、必ず誰かの所得になる。それゆえ、一国における価値の生 産の総量は、国民全体の所得と等しくなる。国内総生産=国民所得である。ちなみに、経済活動には生産面・分配面・支出面の三つの側面があるので、「国内総生産=国民総所得=国内総支出」という関係が成り立つ。ここまでが、私なりの前置きである。
 さて、所得の一部は消費される。そして、一部は貯蓄される。所得のうちどのくらいが消費されるかの割合を、ケインズは「消費性向」と呼ぶ。所得から消費を除いたものが、貯蓄である。所得のうち、貯蓄される割合をケインズは「貯蓄性向」と呼ぶ。「性向」とは、心理的傾向である。国民全体の集団的な心理傾向である。それゆえ、集団心理によって、消費の割合が大きくなったり、貯蓄の割合が大きくなったりする。将来は不確実だから、将来に不安を感じると、消費を控えて貯蓄を多くしたり、先行きに安心感があると、消費に積極的になったりする。ケインズの経済学は、社会心理学的な側面を持つ。将来の不確実性に対する社会心理を、経済学の理論に取り入れたところに、大きな特徴がある。

●投資の大きさが有効需要の大きさを決める

 消費性向は、所得のうちの80%を消費に充てるなら、0.8という風に書く。ケインズは、消費性向は1より小さいという主旨の主張をした。普通、人は所得をすべて使ってしまうということは、ない。ある程度、収入があれば、将来に備えて、一部は貯蓄に回す。もちろんその日暮らしで全部使ってしまう人もいれば、貯蓄を食いつぶして生き延びている人もいる。しかし、国民全体で見れば、消費性向は1より小さい。消費性向が1より小さくなることは、われわれの行動を律する「基本的な心理的法則」と呼びうるものだとケインズは言っている。
 ここまでを記号で表して整理しよう。国民所得をY、消費をC、貯蓄をSで表すと、

  Y=C+S ・・・@

である。所得のうちの消費の割合は、

   C
  ―――
   Y

と表現できる。これを、消費性向という。消費性向を c とすると、

  1− c = S

である。
 消費は人々がそれだけ商品を購入することだから、需要である。一方、生産は、商品を作って提供することだから、供給である。@の式において、左辺Yは一国の総生産、つまり総供給額を表している。右辺のCは消費需要額である。Sは貯蓄だから、需要ではない。そこで、Yの生産水準が維持されるためには、消費需要以外に、貯蓄の分に当たる需要がなければならない。それが投資である。投資は消費とともに社会全体の需要を構成する。投資はIで表すことにする。
 ここで、左辺に社会全体の総供給額、右辺に総需要額をとると、

  Y=C+I・・・・A

となる。
 「有効需要」とは、実際の貨幣の支出に裏付けられた需要のことである。具体的には消費による需要と投資による需要である。Aの式は、一国の経済規模(Y)は、社会全体の有効需要、つまり消費需要(C)と投資需要(I)の合計によって決まることを表している。
では、消費と投資にはどういう関係があるか。
 いまここで消費性向( c )を用い、所得の一部が消費されることを、

  C=c

と表す。消費性向( c )は、消費に関する国民の集団的な心理傾向ゆえ、短期的にはそう大きく変化しない傾向がある。そこで消費性向( c )は短期的に安定しているとすると、A式は、

  Y=cY+I 

  (1― c)Y=I 

      1
  Y=―――――I 
     1−c

となる。投資需要が大きければ大きいほど、国民の所得の総額が大きくなり、一国の経済規模は投資の大きさに依存することになる。
 有効需要は、消費需要と投資需要から成り立つ。短期的には消費性向は、あまり変化しないから、消費需要はそれほど増えたり減ったりしない。それゆえ、消費性向が安定的であれば、投資需要の大きさが経済規模を決定することがわかる。経済規模が小さくなると、雇用状況が悪くなり、失業者が増える。ケインズは、なぜ多数の失業者が発生するのか、その原因を突き止めようとした。そして、概略上記のような考察により、投資の額が少ないから、雇用が少なくなる。それが失業者の多数発生する原因だと考えた。それゆえ、短期的には投資需要を増やすことで有効需要を拡大することが、生産の量、ひいては雇用の量を増やすことになる。これが、失業問題の解決法だ、とケインズは考えた。「有効需要の 原理」の主旨は、概ね以上のようなものである。


 ケインズの「有効需要の原理」は、「乗数理論」と「流動性選好」という二つの柱によって支えられている。次に、これら二つの柱について記す。まず乗数理論である。
 投資と所得の間には、「乗数」という数字で表される関係が存在する。
所得が増加すると、消費も増加する。その割合をケインズは「限界消費傾向」と呼ぶ。所得の増加をY 、消費の増加をCで表すと、限界消費性向は、

   
  ―――――
   


所得税とどのような財務諸表

である。
 限界消費性向を aとし、投資の増加と所得の増加の関係を式で求めると、

 Y=C+I

ゆえ、増加分についても

  Y=C+I 

となる。

  Y−C=

      
 (1− ――――)Y=
      

      1
  ―――――――――I=
   1−C/

    1
  ――――― I=
   1−a

となる。
 これによって、投資の増加Iがあると、その何倍かの所得の増加が生まれることがわかる。この倍数を「乗数(multiplier)」という。「乗」は加減乗除の「乗」つまり「かける」を意味する。
 乗数は、

     1
   ―――――
    1− a

である。
 たとえば、所得の増加分の80%が消費されるとすると、限界消費性向は0.8である。1−0.8=0.2だから、

     1
   ――――― = 5
    0.2

となる。
 大まかに言うと、乗数は、消費性向が大きければ大きいほど大きくなると言うことができる。消費性向が0.8なら乗数は5、消費性向が0.9なら乗数は10となる。消費性向は貯蓄性向と足すと1になる関係にあるから、貯蓄性向を使って言い換えると、乗数は貯蓄性向が小さければ小さいほど大きくなる。貯蓄性向が0.2なら乗数は5、0.1なら10となる。これは、乗数は貯蓄性向の逆数であることを意味する。
 一国経済の総生産(GNPないしGDP)は総需要に等しくなるような水準に決まる。言い換えると、貯蓄が投資に等しくなるような水準に決まる。それゆえ、投資の増大は、乗数倍だけ生産を増加し、所得の増大をもたらす。投資需要を大きくすれば、投資需要の増加分以上に、総生産量を増加させることができる。
 なお、乗数理論を最初に着想したのは、リチャード・カーンだった。カーンは、個々の経済主体の投資が、一定の時間を経過して波及的に効果を生むと考えた。そこでカーンの乗数を「波及論的乗数」という。これに対し、ケインズは、社会全体の実質資本の増加となる総投資をとらえ、その効果は時間的な波及の過程を経てからでなくとも成立するとした。そこでケインズの乗数は「即時的乗数」という。ケインズは、自分がカーンの「波及論的乗数」をとらなかったのは、それ在庫減少した分だけ生産するという特殊な仮定を置いていたからだと強調している。
 乗数理論のエッセンスは、今日でもマクロ経済学の動きを見るときに欠かすことができない考え方である。ちなみにわが国の場合、GDPは約500兆円だが、そのGDPを生み出す投資(厳密には自生的有効需要支出)の総額は約200兆円である。投資の約2.5倍のGDPが生み出されている。これは、乗数が2.5前後であることを意味する。実際には若干下がり、2.3〜2.4となる。
 乗数とは「数」であるから、人間の心理とは無関係のような気がするが、実は人間の心理と重要な関係がある。というのは、乗数は消費性向・貯蓄性向と連動する数である。性向とは、国民の集団的な心理傾向ゆえ、その集団心理が乗数という数に表れるのである。つまり、乗数とは、国民の集団心理を表す数なのである。国民が勤勉で貯蓄に励む国は、乗数が小さくなる。家計貯蓄率の低い国は、乗数が大きくなる。
 消費性向・貯蓄性向について書いた項目で、人々は将来に不安を感じると、消費を控えて貯蓄を多くしたり、先行きに安心感があると、消費に積極的になったりすると書いた。ケインズは、将来の不確実性に対する社会心理が経済活動において重要な役割をすることを明らかにしたが、それは乗数理論においても貫かれているのである。

 


組織は戦略的なdecisonsを設定する方法

乗数理論と並ぶ「有効需要の原理」のもう一つの柱は、流動性選好説と呼ばれるケインズ独自の利子論である。
 「有効需要の原理」によって、投資の増大は、乗数倍だけ生産を増加し、所得の増大をもたらす。それでは、投資の大きさはどのように決まるのか。
企業家は、事業を営むために投資家から資金を借りる。資金を借りると、利子を支払わねばならない。企業家は、事業から上がる利潤率の方が利子率よりも大きいと思えば、資金を借りて事業に投資するだろう。利潤率と利子率の差額が、純利潤になるからである。企業家は、自分が予想した利潤率が利子率を上回る限り、投資を行う。ケインズは、新たな投資について企業家が予想した利潤率を「資本の限界効率」と名づけた。「資本の限界効率」とは、投資の予想利潤率のことである。投資は、予想収益率と利子率が等しくなる水準に決まる、とケインズは考えた。
 次に、この利子率はどのようにして決まるのか。新古典派経済学は、投資・貯蓄の大きさは利子率によって決まるとした。金融市場では、資金の供給つまり貯蓄と、資金の需要つまり投資とを等しくさせる価格が利子率であると考えられていた。ケインズは、こうした新古典派の投資・貯蓄―利子率決定論を特殊な場合にのみ当てはまるものとした。そして、利子率を説明するために、「流動性選好説」という独自の理論を示した。
 流動性とは、交換の容易性や安全性を意味する。流動性が最も高い資産は、貨幣である。貨幣は、利子を生まない。債券や株式などは利子・収益を生む。しかし、将来、資産の価格がどうなるか不確実だと感じられれば、人々は安全な資産として貨幣を保有しようとする。
 ケインズは、人々のこうした性向を、「流動性選好(liquidity preference)」と呼ぶ。有効需要の原理の項目で、「性向」とは国民全体の集団的な心理傾向だと書いた。流動性選好もまた集団の心理傾向である。人々の心理傾向が、貨幣や債券・株式等の動きを、大きく左右する。ここでも将来は不確実なものであることが、深く影響する。
 将来、債券や株が上がると予想する人は、預金を手放して債券を購入する。逆に債券や株が下がると予想する人は、債券や株を売り、現金に換えようとする。値上がりを予想する人が多ければ、債券の価格は上がり、逆の場合は下がる。上がるか下がるかの予測に、必ずしも合理的な根拠はない。期待や不安、衝動や直感といった心の動きが、人々の予測となる。そして市場における需要と供給が均衡したところで、債券の価格が決まる。また、それによって示された利回りで、短期の利子率が決まる。これが流動性選好説によるケインズの利子論である。ケインズは「利子率は特定期間、流動性を手放すことに対する報酬である」と言う。この表現は、なんとも難しい言い回しだが、人々の貨幣に対する愛着や将来に対する不� ��を含蓄深く表しているように思う。
 さて、1年間に新たに生産され消費されていくものは、「フロー(流れ)」といわれる。川の水の流れのようだからである。貯蓄や投資はその流れの一部である。これに対し、川上の上流の湖に貯えられた水のように、過去から蓄えられた資産もある。これを「ストック(蓄え)」という。
 従来の利子理論は、フローに関係付けられていた。アダム・スミスやリカードの経済理論もマルクスの『資本論』もフローの理論だった。これに対し、ケインズの流動性選好説は、フローだけでなくストックにも関係付けられているのが、大きな特徴である。従来の利子理論は、フローとフローの関係、つまり投資と貯蓄の関係で利子率が決まるとした。これに対し、流動性選好論は、ストックの価値変動にも関係付けられている。これは、画期的な発想だった。

●不確実性の強調と、情念で動く人間観の提示

 経済学において不確実性を強調したことが、ケインズの大きな特徴であることを、これまで何度か書いてきた。資本制的生産では、現在において投資したものが、結果として利益を得られるのは、将来である。そこに時間的なずれがある。また、現在において予想する利益と、実際に将来得られる利益には、差が出る。成功や失敗がある。だから、資本主義は本質的に不安定なものである。さらに、資本主義を不安定なものにしているのは、産業より金融が経済の中心となり、金融市場の動きが景気を大きく左右するようになったからである。
 「有効需要の原理」によれば、景気循環の原因は、何よりも社会全体の需要の増大・縮小に求められる。短期的に消費性向が安定しているならば、投資需要こそが景気循環を生み出す主役である。そして、ケインズは、投資は予想収益率と利子率が等しくなる水準に決まる、とした。ただし、予想収益率は、合理的な計算で割り出せるものではない。将来は、本質的に不確実なものである。その不確実な将来に向うとき、人間の希望や勘、心配などが予想や期待を左右する。
 ケインズは、投資を左右するものは、「アニマル・スピリッツ」であるという。また心理的な表現が出てきた。ケインズは、ただの理論家ではない。有能な投資家であり、会社経営者でもあった。投資をやって、成功したり失敗したり、豊富な経験をしていた。そういうケインズが言う。「われわれが遠い将来を見据えて何か積極的な行動をする時には、数字で表されるような将来の収益の期待値を見て行動するのではなく、アニマル・スピリッツ、すなわち行動せずにはいられないという内から込み上げる衝動によって事を行うのである」と。「アニマル・スピリッツ」は、「血気」「野心的意欲」「動物的な衝動」などと訳される。
 金融市場では、投資家の心理によって株式が大きく左右される。不確実な将来に向って、損得をかけて決断・行動する。そうした人々の心理が、投資の額を左右し、生産と所得の額を左右する。特に金融の動きが産業に大きく影響し、景気の好不況を揺り動かす。そのもとには、「血気」「野心的意欲」「動物的な衝動」と訳されるような「アニマル・スピリッツ」があるとケインズは言うのである。
 新古典派経済学が想定する人間は、完全な情報を持ち、合理的に功利を計算して行動する人間である。社会を、それぞれ独立したアトム(原子)的な個人の集合ととらえ、あたかも原子の作用・反作用で均衡状態が生まれるように、均衡状態が生まれると仮定した。これに対し、ケインズは、将来が不確実な社会において、理性だけでなく感情や不安、衝動によって行動する、理性とともに情念を持った人間という人間観を打ち出した。「流動性選好」という集団的心理傾向は、理性だけでなく情念で動く人間の集団が示す心理現象である。そして、本質的に不安定な資本主義は、人々の集団心理によって変動する動的なものであるという見方を打ち出した。
 もっとも流動性選好説については、ケインズの考えとは違い、利子率の変化は投資にほとんど影響を与えないことが調査結果でわかった。1935〜40年に行われたオックスフォード大学の調査は、利子率が下がっても投資は増えないという結果を示した。仮に流動性選好説によって利子率の高さが決まったとしても、乗数関係には直接影響しない。そのため、利子率が下がれば投資が増えるという鎖で結ばれていた乗数理論と流動性選好説とは切り離されるようになった。以後、ケインズ理論の中心は乗数理論に移行した。


(4)貨幣は富の蓄蔵手段でもある

 ケインズ理論の要点の第四番目として、次に、富の蓄蔵手段としての貨幣の役割について述べたい。
 商品貨幣経済では、商品が売られて貨幣と交換され、その貨幣で別の商品が買われる。すなわち、<商品
貨幣商品>の関係が成り立つ。新古典派経済学は、基本的に実物経済を想定し、セイの法則を暗黙の前提としていた。セイの法則の働く社会とは、<商品貨幣商品>の関係を<商品商品>の実物交換の関係に還元できる社会である。ここで貨幣は、商品の価値を示す尺度であり、商品の交換を仲介する手段にすぎない。通貨の総量が変化しても、商品が交換されるときの比率には影響を与えず、全体的な物価水準に影響を与えるだけだとして、新古典派は、貨幣の価値は貨幣の数量によって決まるという貨幣数量説を 説く。
 ケインズは、貨幣の役割はそれだけではない。富を貯えるための手段という役割もあるとした。投資家は財産のもっとも安全な保有形態として貨幣を選ぶことがある。流動性選好である。この場合、貨幣は、交換の仲介手段をやめる。<商品
貨幣商品>の関係において、左の<商品貨幣>の交換だけで、右の<貨幣商品>の交換がなされない。交換は、セイの法則の社会のように、<商品商品>の関係に還元できない。そして、貨幣は富の蓄蔵手段として独自の働きをする。そこでケインズは、貨幣に蓄蔵手段という役割を追加することによって、新古典派の貨幣論を一般化した。彼が『雇用・利子および貨幣の一般理論 』というときの貨幣の一般理論という意味のひとつがそこにあった。
 ケインズの貨幣論を、論理の展開に沿って書くと次のようになる。貨幣量の変化は、まず利子率の変化となって現れる。その場合、例えば、貨幣量の増大がどれだけ利子率の低下をもたらすかは、流動性選好の状態に依存する。極端な場合には、貨幣量が増加しても全く利子率が低下しないこともあり得る。ケインズが理論的に想定しただけでまだ実例は知らないとした、いわゆる「流動性の罠」がこれである。
 利子率の低下は、普通は投資の増大をもたらす。投資がどれだけ増加するかは、「資本の限界効率」(投資の予想利潤率)に依存する。利子率は低下しても、その効果が予想利潤率の下方シフトによって相殺され、投資の増大に結びつかないことがある。極端な場合は、投資が減少することさえあり得る。
 投資が増大すれば、有効需要が増大する。そして、乗数効果によって生産量ないし所得が増大する。すなわち、<貨幣量の増大→利子率の低下→投資の増大→有効需要の増大>という展開が起こる。ただし、こうして貨幣量の増大が有効需要の増大につながったとしても、それが物価にどれほどの影響を与えるかは、一様ではない、とケインズは説く。例えば、失業者と遊休設備が多く存在するような不況時においては、有効需要の増大は生産量・所得の増大をもたらすけれども、物価にはほとんど影響を与えないだろう。逆に、高水準の雇用を伴った経済状態においては、有効需要の増大は生産量・所得の増大にほとんどつながらず、物価に対して強い上昇圧力をかけるだけになるだろう。
 すなわち、ケインズによれば、貨幣量と物価の間には直接的な関係はない。ケインズは、貨幣数量説が説くような貨幣量と物価の間の比例関係は、「完全雇用状態」という特殊な場合にしか当てはまらないと指摘した。注意したいのは、ケインズは貨幣数量説をまったく否定したのではなく、特殊な状況でのみ成り立つものとして位置づけなおしたことである。
 ケインズは、経済学において不確実性を強調したが、人々が不確実な将来に 向けて行動する際、貨幣が富を蓄える手段となるということは、重要な意味を持つ。流動性選好説が説くように、投資家は将来によい予想を持てない場合、財産のもっとも安全な保有形態として貨幣を選ぶ。ケインズは、大恐慌において事態を悪化させているのは、アメリカの投資家の貯蓄過剰にあると考えた。自分の富を守ろうとする富裕層の利己的な金銭欲が、不況を深刻化し、多数の失業者を生み、人々を困窮にさらしていると見た。貨幣について、富の蓄蔵手段という役割を明確にしたことは、ケインズ理論の重要な要素の一つである。
 なお、貨幣の蓄蔵(退蔵とも訳す)については、マルクスが先行して『資本論』に書いており、ケインズの独創ではない。大きな違いは、マルクスの所論は私有財産制を否定し、共産化を目指す闘争的な理論におけるものであり、ケインズの所論は私有財産制を肯定したうえで、富の偏在を是正するために説く点にある。
 ケインズは、貨幣にする理論を発展させるとともに、貨幣制度の改革を推進した。1930年代の貨幣制度は、金本位制だった。金本位制では、一国の貨幣の総量は中央銀行の保有する金(ゴールド)の量に依存する。ケインズ的な政策を実行するには、これを政府が自由に資金を投入できる制度に変える必要があった。ケインズは、金と貨幣の関係を断ち切り、国内では必要な水準まで貨幣を発行して有効需要を増大できるようにし、国と国との支払い決済にのみ金を用いる制度を提唱した。管理通貨制度である。このようにケインズの政策は、貨幣制度の改革を伴ってこそ、効果を生むものだった。
 丹羽氏は、「救国の秘策」として、ケインズの総需要管理政策にく政府貨幣発行特権の発動を説く。「マクロ的に生産能力の余裕がある場合には、国(政府)の貨幣発行特権の発動に依拠すべきだ」とする政策提言が、20世紀の半ばごろより現在まで、ラーナー、ディラード、ブキャナン、スティグリッツといったノーベル賞受賞者級の巨匠経済学者たちからも繰り返しなされてきており、経済学的にはきわめてオーソドックスな政策案である」と言う。ケインズは『一般理論』以前に出した『貨幣改革論』等でも政府紙幣の発行について述べている。それを発展させた政策案が、この政府貨幣発行論である。

●ケインズの社会観


 これまで有効需要の原理、乗数理論、流動性選好、貨幣の役割の4点を挙げて、ケインズ理論を概説した。ここで捕足として、ケインズ理論の背景にあるケインズの社会観について述べたい。
 ケインズは、1923年に出した『貨幣改革論』で、社会を投資家階級、企業家階級、労働者階級の三つの階級に分けた。これらの三つの階級は重複し、一人の個人が給与を得、商取引をし、投資をすることもあり得る。ケインズは、投資家階級を非活動階級、企業家階級と労働者階級を併せて活動階級とも呼ぶ。階級(class)は、マルクス主義では生産手段の所有・非所有で区別される対立的な社会集団をさすが、より広く資産・職業・身分・知識等で分類するためにも使う。ケインズの場合、階級闘争史観的な意味合いはない。
 ケインズは、『貨幣改革論』の投資家階級の項目に、次のように書いている。「19世紀の間に発展した資本主義のこの局面(註 貨幣投資の契約)のもとで、財産の所有と管理を分離する多くの仕組みが作られた」と。その仕組みとは、普通株式、抵当証書、社債、コンソル債(永久債)等である。「20世紀初頭までには、資産階級は企業家と投資家の、利害を異にする二つのグループに分かれた」とケインズは記している。かつて資本家は自ら資本を所有し、事業を経営する者だった。ブルジョアワジーとは、生産手段を私有し、賃金労働者を雇って事業を行い、利潤を得る階級だった。ところが、資本主義が発達し、金融の仕組みと技術が進むことによって、資金を所有し投資をすることによって富の増加 を図る者と、自ら事業を行うことで利潤の獲得を図る者とが分離するようになった。
 ケインズのいう投資家階級とは、ロスチャイルド、ベアリングなど「マーチャントバンカー」(手形引受業者)を仲介者として植民地投資を行っている者たちである。企業家階級とは、イギリスで工場や企業を経営し、かつそのほとんどは自ら現実に資本を所有している資本家たちである。ケインズが彼らを別の階級としたのは、当時進みつつあった所有と経営の分離をとらえたものである。
 19世紀の後半、マルクスは、社会を資本家階級・労働者階級・地主階級の三つに分けた。これは所有論的な分け方である。資本家は資本、地主は土地を所有する。労働者は生産手段を所有せず、労働力を販売する。これに対し、ケインズは所有と経営を分けることで、20世紀の資本主義社会の特徴をとらえた。ちなみに私は、所有と経営だけでなく、所有と支配を分けることが重要であり、所有論に支配論の加えることが、共産主義の分析には不可欠と考える。また、現代社会を、所有者・経営者・労働者・困窮者の4つの集団に分けてとらえている。(註2)
 話を戻すと、ケインズは、先ほどの3階級構成の把握をもって、社会の分析を行った。そのことを踏まえて貯蓄に関するケインズの見解を述べると、従来、貯蓄は美徳とされてきた。しかし、ケインズは、貯蓄が美徳になるのは、それを補って余りある投資が存在するときであり、完全雇用状態の場合であるという。経済が完全雇用水準以下にある場合は、貯蓄の増加は不況を悪化させ、資本それ自身を破壊してしまう。そのことを、ケインズは理論的に明らかにした。
 投資家階級は、財産の価値の安全を図ろうとして、よほど高い利子率でないかぎり、資金を企業家階級に提供しない。そのために投資が縮小され、イギリスの経済を不振に陥らせ、同時に多数の失業者を生み出している。ケインズは、この投資家階級の「貨幣愛」に不況の原因を見出した。投資家の中には、財産の大部分を先祖から相続している者が多くいる。ケインズは富と経営の世襲制に基づく投資家階級中心の資本主義から、企業家階級が能力を自由に発揮し、もっと活躍できるような資本主義へ、と発展させようとした。同時に、失業の問題を解決するために雇用を増やし、また労働者の所得を増やすことで、一国の経済を成長させようと努めたのも、ケインズである。
 マルクスは労働者階級を利用して共産主義を実現しようとした。その結果、共産党官僚が特権階級・革命貴族となり、労働者は自由を奪われ、ノルマを課せられる社会が生まれた。新古典派経済学者は、投資家階級が最大限の利益を得られるように奉仕した。その結果、金融市場が賭博場と化し、大恐慌が勃発して、多くの労働者が職を失って路頭に迷う社会が生まれた。これに対し、ケインズは、投資家階級・企業家階級・労働者階級の協調を図り、調和をもって発展する社会を目指した。古典的な自由主義を修正し、個人主義的な資本主義を国民主義的な資本主義に変革しようとした。ケインズの理論は、単なる経済の理論ではなく、上記のような社会観に基づく総合的な国家政策のもとになる理論であると私 は認識している。ページの頭へ

註2
・現代社会の集団構成については、拙稿「現代の眺望と人類の課題」第9章をご参照下さい。

 第9章「現代世界の支配構造」の(1)現代社会の集団構成



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